春、子どもたちの成長をとても感じています。
わたしの実家へ子どもたちと一緒に1泊しました。
母が1人になってそろそろ1年。
心配に思ったり元気づけたい気持ちと、
そっとしておいて欲しいのかな、と感じることもあったり、
どのくらい関わっていったら良いのか迷いながらの1年でした。
冬の間、膝の調子が悪いと言っていた母も、
あたたかくなって大分調子が良くなった様子。
たった1泊だったけれど、
久しぶりに実家でくつろげたな、と思いました。
いつもそうだけれど、空気がたっぷり吸える感じ。
子どもたちが「僕たちだけもう1泊したい!」と言い、
母も「あなたがいいなら、ぜひ。」と言ってくれたので、
子どもたちを置いてドキドキしながら1人東京へ。
そう、翌朝わたしはヨガクラスの場所の抽選会。
外せない日だったのです。
先日だんなさんの実家へおじゃましたときも、
「僕たちだけ泊まってく。」といって泊まってきたのですが、
小さい頃は「お母さんと一緒に。」なんて言ってくれていたのがうそのよう。
5歳の娘もまったく心配なく、
実家の3面鏡がある和室を「姫の城」と名付けて、
せっせと1人遊びをしていました。
母1人で元気いっぱいの子どもたちを置いてきて大丈夫だったかな?
つい背負い過ぎてしまう癖がある母を心配したのですが、
お迎えに行ったら、
3人ともニコニコとっても愉しそうな顔をしていました。
そう、子どもたちが喜んでいるのは分かっていたけれど、
母がとっても満足そうに笑っていたことが、
わたしは嬉しかったです。
「頼まれる」って義務に感じるのか、一緒に楽しめるのか、
受け手の気持ち次第で、
気持ち良さが違うのだろうな、と思いました。
頼んだのに親孝行した気分。図々しいけれど(笑)
別れ際に母がこっそり教えてくれたエピソード。
「2人ともとってもお利口だったよ。
お兄ちゃんがしっかりしてきたね。
夜寝るときもわたしのベットのとなりに布団を2つ敷いて、
お兄ちゃんがだまって外側に寝て、妹を真ん中にしてあげてたよ。
譲るとかではなくて、自然にね。優しいね。」
わたしがいたら、ぜったいにおばあちゃんの隣を争奪戦!
うるさい兄妹喧嘩になっていただろうな〜、と想像しながら、
「意外と妹に優しいじゃない。」とホッとしました。
息子はいつもわざと娘が嫌がることをするのです。
それで、わたしもつい叱ってしまうのですが。。。
口や手が出るのは「どうして?」と聞かれても、
きっと本人も自覚していないところ。
「僕も可愛がって。」のサインとか
何らかの余剰エネルギーの吐き出し、とっさの行動、
だから叱ってもしょうがないのだろうな。
でも、本当に自覚なく、
ひどいことを平気で出来ちゃう人になって欲しくないな。
などと心配に思っていたところだったのです。
わたしがいないところでは優しく出来ているのなら、
「甘え」なのかなぁ。
そう思うと、叱って表側に出ている言動だけを
伏せるようなことをしてもしょうがない、
どこか別のところでそのひずみは発散されるはずなので、
やっぱり「待つ」しかないのかぁ、となんとなく自分なりの答えに行き着きました。
家に帰って、さっそく兄妹喧嘩、
娘もなんとなく感じていたようで、
「お兄ちゃん、おばあちゃんのところでは優しかったのに。」
と嘆いていました。
子どもたちが産まれてこのかた母子でいる時間が
圧倒的に多いわたしたち親子、
ときどき離れてみるのも良いものだなぁ、と思いました。
「たまには親のいないところではめを外したい。」
なんて気持ちも成長の一コマ。
そして、おじいちゃんおばあちゃんの愛情は
子どもたちの栄養だな、とつくづく思いました。